故堀祐平氏略歴

 堀祐平は、明治10年(1877)3月11日、長野県上高井村
(現在は須坂市)に生まれた。
 20歳の頃、桐生に移住し紋織の技術を修得し機業を営む。
この頃、桐生の織物は純絹・絹綿交織が主流であり、新製品
の人造絹糸は、まだ品質が劣り、織物には適していなかった。
堀祐平は、この人造絹糸を織物に使うことに着目し、日夜努力
を重ね、リボン機に応用した。大正期には、人絹糸応用織物に
成功し、多数の特許権を取得するなど事業も順調に伸びていっ
た。公務としても、市電取締役、桐生市体育協会会長などを歴
任した。
 昭和2年、桐生市体育協会初代会長に推されたから、私財を
投じて、新川運動場、水泳場などの建設に情熱を注ぎ、翌3年」
には、北関東屈指のグランドを完成させた。その後、運動場の全
てを市に寄贈した。この新川運動場(球場)が球都桐生の基礎を
築き、多くの甲子園出場校を生み出すこととなった。

 昭和30年(1955)1月5日、永眠(78歳)

左の写真は、昭和28年5月3日頌徳碑除幕式当日、堀祐平氏と
当時の桐生市長前原一治
この記事の内容は、第50回堀マラソン大会要項より引用しました。