活動報告

レース・有志イベント

ちょっと会 新宿御苑 散歩(2018/10/02)

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新宿御苑アートギャラリーで開催されていた「青いケシの世界写真展」を見学してから新宿御苑を散歩して来ました。

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お花見ラン(2018/03/29)

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大人のお花見ランを企画しました。

コースは独協大学→伝右川→新栄団地→綾瀬川堤→左岸広場の10km

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佐野マラソン 岩立 幸一(2015/12/13)

さいたま国際とつくばではサブスリーを逃しましたが、今回は三度目の正直になりました。

20㎞付近で今回最大のピンチ!。山からの冷たい風でお腹がゴロゴロとしてきた。

そして、少しペースダウン。ゴールまではとても我慢出来る状態ではないし、トイレに入ったら今回もサブスリーはお預けだし、とりあえずストッパ投入して様子を見た。(笑)

一時的とはいえ、ストッパが効いて助かったので、気を取り直して?いや、走れるうちにいっぱい距離を走っておかなければと必死で走った。

ラスト1㎞の所で、ボランティアの人に「このペースで走れれば、なんとかサブスリーだよ」と言われて、まだサブスリーが出来ると思ったけど、このペースじゃ走れない。

ギリギリアウトの気がしたが、自己ベストは間違いないので頑張った。

競技場に入り、ゴール横の時計が2時間59分に見えたので、必死でダッシュ!。ゴール!あれ?よく見たら、2時間57分じゃないかよ~って、結果的に良かったけど…。

というわけで、2時間57分26秒でゴールしました。

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奈良マラソン 岡本 隆之(2015/12/13)

奈良マラソンも今年で4回目となる。 今年はCブロックからスタート。

ロスタイムは1分強。これは想定の範囲内。奈良は坂の多い大会。

スタートしていきなり20m下る。朱雀門前へと続く大宮通に出てさらに20m下る。

朱雀門先の5㎞折り返しは26分台。

初めてサブ4を達成した2年前は29分台だったので、ややペースが速い。

結局、中間地点は1時間51分19秒で通過。ここで1年ぶりのサブ4を確信する。

あとはどれだけ短縮できるかである。20㎞地点より天理市へ一気に50m下る。

天理市街のアップダウンは10m足らず。天理市民の応援も奈良市民のそれに全く劣らない。

25㎞地点の手前で折り返し。 レースはいよいよ終盤。法蓮佐保橋を右に折れると、フィニッシュの鴻ノ池陸上競技場は、もう目の前。

もっとも、ここで最後20mの登り。応援も一段と賑やかになる。

この辺り、昨年一昨年と、ペースランナーとは抜きつ抜かれつのサブ4だったが今年は違う。

余裕のサブ4である。競技場へ入っても、まだラストスパートを掛ける余力が残っていた。

タイムは3時間48分15秒。1年ぶりのサブフォー。

また自己ベストを10分短縮してのフィニッシュとなった。

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那覇マラソン 根岸 秀昭(2015/12/06)

太陽と海とジョガーの祭典、那覇マラソンは、26679人が参加。平和祈念公園を中心とする、那覇市、南風原町、八重瀬町、糸満市、豊見城市の南部5市町を通る42・195キロを駆け抜けました。

スタートの午前9時には太陽も見えましたが、昼過ぎから曇り始め、午後には時折、強い雨も降りました。

寒暖差に苦しみましたが、沿道に途切れなく並んだ地元の応援者とボランティア、大会関係者の声援が背中を押してくれました。

難しいコンディションだった為、完走率は昨年よりも5・86%下回ったとのこと。

県外や海外の参加者は1万人を超え、全体の4割を占め「国内最大級の市民マラソン」にふさわしい、にぎわいでした。

午前9時に、お笑い芸人のスリムクラブと、城間幹子大会長(那覇市長)のつく万国津梁之鐘を合図に、国道58号明治橋交差点からスタートし、午後3時15分の制限時間までに奥武蔵山競技場にゴールしたのは18326名、完走率68%でした。

10キロから25キロのアップダウンで予想以上に体力消耗し、中間地点までに2時間4分掛かってしまい、サブ4をあっさりあきらめ、サブ5に切り替え楽しんで完走することにしました。沿道の私設エイドを堪能し4時間43分で楽しく完走しました。

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湘南国際マラソン 酒井 俊一(2015/12/06)

今年53歳の同級生、凸凹コンビで、湘南国際Mに参加してきました。

まして湘南、茅ケ崎、鎌倉です。私たちの年代は、やっぱりサザンですね。

昔の話をしますと、そんなサザンを聞きながら、まだ10代の私たちは、何かを期待し、買ったばかりの中古車で、当時はやったサーフィンのボードを車の屋根に積んで、いそいそと通っていました。

あれから何十年、いい年なのに、そんなチャラいことを思い出しながら、「もしかしたら楽しくて、30キロ後半の苦しみもなく、楽に4時間30分切れるかも、、、、。」と淡い期待を抱く。 新調した走ろう会ユニフォームに袖を通し、記念撮影をして、気分しだいでせめてやろうとスタート場所に向かいました。

予定の9時になりましたが、不審車両のため5分くらい遅れたそうです。

30キロを越すと茅ケ崎に背を向けて、歩いては走りの繰り返し。

沿道から「草加走ろう会なんだから、歩くな~」と応援のようなヤジをいただきながら走りました。

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川口マラソン 森泉 正寿(2015/12/06)

新ユニフォームで、川口マラソンを走ってきました。

会社の仲間4人から、忘年会を兼ねて走ろうと誘われて初めてエントリー。

最初の1㎞は4分13秒。想定外のスピードで、これ早いなと・・、とても続かないペースなので少し落として、次の1㎞は4分22秒。草加走ろう会のユニフォームの重みを感じながらも、坂多く橋もあり曲がり角も多いコースだが、なんか快調に走る。

だいたい4分20秒ペース。 会社の仲間には10時5分前後のゴールと言っといたが、10時ちょい過ぎに競技場に入り1時間32分37秒でゴール。

50代の部18位。想定外の好タイムに自分でもビックリ!。自己ベストを6分以上短縮できた。今シーズンのハーフの目標は1時間35分以内だったので結果に満足。

ハーフはあと2本走るので、少しでも短縮できればと思う。この流れを勝田につなぎ、次はフルで結果を残したい。

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大田原マラソン 野澤 真(2015/11/23)

草加走ろう会に入会して早や5年目。

入会した年のつくばマラソンでフルマラソンデビュー。しかも初フルでサブフォー(ちょっと自慢)。翌年の板橋cityでは3時間38分と着実に記録を伸ばしていき、サブ3・5はもうすぐだと簡単に考えていました。

ところが、そこからが怪我やトラブルとの闘いの始まりでした。

2012年の秋には、帰省中に参加した町内の運動会で徒競走を走っている時に転倒してしまい、右手首骨折。全然練習が出来なく、その年のつくばマラソンは、我がレース唯一の4時間オーバーでゴール。

情けなくて涙目でゴールしたことを覚えています。 さて、本題の大田原マラソンですが、例年つくばマラソンに出ていましたが、昨今のエントリー合戦に昨年負けてしまい、今年も負けたらどうしようと考えて、確実にエントリー出来る大田原に決めました。

27㎞手前ではGPSウォッチがフリーズしてしまい、ペースが分からなくなってしまいました。

それでもペースだけは知りたいと思い、やむなく途中でリセットを行い再起動。なんとかペースだけは分かるようになりました。

ふくらはぎの痙攣は徐々に酷くなり、カチカチに固くなってしまい、30㎞手前くらいからは、少し走っては痙攣のため止まり、ストレッチをするという繰り返しになりました。

ストレッチしながら何度も「クソッ!足よ、動け!」とつぶやいていたと思います。

前半の貯金が徐々に無くなっていく中、35㎞を過ぎても痙攣が治まらずサブ3・5は万事休すと真剣に思っていましたが、3・5のペーサーに追いつかれるまでは、少しでも前を進もうと走り出しました。 競技場に入り、あとトラック半周。いままでの思いが頭の中を駆け巡り、少しでも早くゴールしたい衝動に駆られました。

最後の直線に差し掛かるとゴール地点の電光掲示板が見えて3時間26分を刻んでいました。

そのまま残っている力を全て出してガッツポーズをしながらゴール。3時間26分57秒。

やった、やりました。とうとう念願のサブ3・5達成です。

3年間破れなかった殻をとうとう破ったという感情が一気に溢れてしまい、ゴール地点で感涙の為うずくまっていると、係員が近づいてきて「大丈夫ですか?」と声を掛けられましたが、すぐに立ち上がりゴールに一礼してトラックを後にしました。

やっと、やっと目標達成です。

いやー長かった、本当に長かった。

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つくばマラソン 佐藤 進(2015/11/22)

つくばマラソンでギリギリですが、サブフォーを何とか達成しました。実は昨年は二度もオーバーしてしまい、サブフォーの連続記録が途絶えてしまいました。同じつくばで19分の、佐倉でも18分のオーバーで、もうサブフォーは不可能なのではないかとさえ思っていました。 しかし、夏以降練習も順調(10月は月間300㌔)、体調も好調、当日の気象コンディションにも恵まれました。走る前から何となく良い予感はあったことは事実です。 実はゴールの500m前ですでにけいれんの症状は出ていたのです。あとわずか500mというのに、つってしまうとは非情なものよと嘆きつつ、歩いてゴールにたどり着くしかありませんでした。残り2㌔に16分も要したのは実はこういうわけだったのです。 ともかくも何とか歩けるようになり、仲間の待つ場所に戻りました。待っていた坂本さんに開口一番、「もうフルは走りたくない」と漏らしました。すると既に同じセリフを吐いた人がいるとのこと。同じく足がつって苦しみ、横になっていた中村さんでした。期せずして同じセリフを吐いたわけです。 その数日後、結局は三月の「佐倉」にエントリー。「フルはもう走りたくない」という思いは、短時間のうちに消えてしまったのでありました。

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第1回さいたま国際マラソン 恩田 雅行(2015/11/15)

スタートからキロ4分を刻み、一定ペースを保ち、足を使わないように努力しました。 しかし、細かいアップダウンの連続に、一定ペースの無理な維持は逆効果だったようです。 支えであった、27㎞地点に陣取る我が草加走ろう会の大応援を過ぎると、たちまち足のふとももがピクピクし始めました。その軌跡は、ラップに如実に表れ、27㎞までの安定したキロ4分のラップが、28㎞からキロ4分30秒にガクッと落ちました。 それでも、地元を愛する埼玉県民の「草加ガンバレ」の声援に背中を押され、2年ぶりのサブスリーを達成。 着古した草加走ろう会イエローユニフォームの、最後の晴れ舞台にする事ができました。

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